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東京高等裁判所 昭和51年(行ケ)33号 判決

一 出願当初の本願発明の要旨は、「リシンとスルフアニル酸との塩の対掌体の混合物を形成し、その混合塩から旋光性の塩を分離することより成る旋光性リシンの製造法」であるから、出願当初の明細書には、モノスルフアニル酸リシンの対掌体の混合物を調製する工程と、このモノスルフアニル酸リシンを光学分割する工程の結合が記載されていることは明らかである。そこで出願当初の明細書に右各工程に次いで、不所望のモノスルフアニル酸リシンを加熱してラセミ化する工程の結合が記載されているかどうかについて検討する。

二 成立に争いのない甲第五号証の二(明細書)によれば、出願当初の明細書には、「またこの発明によれば、不所望旋光性スルフアニル酸リシンを、この塩の水溶液を一定時間、例えば一時間に亘つて約二〇〇℃に於いて加熱することによつてラセミ化させることができる。」(五頁一九行目から六頁三行目まで)と記載されていることが認められる(以下これを「記載A」という)。

ところで、さらに、右甲第五号証の二によれば、右明細書においては、記載Aの前に、「この発明の方法を行うに当り、選択晶出によつて光学分割するのに使用されている周知法を使用することができ、また例えば過飽和度、晶出時間、晶出温度、種子結晶の粒度及び量のような種々なる処理条件も周知の範囲内で差支えない。例えば過飽和溶液を二等分し、一方の半分からは一定量のL―対掌体を、他の半分からは等量のD―対掌体を選択的に晶出し、最後に両部分の残留母液を混合して過飽和出発溶液の生成段階へ再循環する。或いはまた過飽和溶液から一方の対掌体の一定量を選択的に晶出し、次に残留母液から他の対掌体の一定量を選択的に晶出した後、その残留母液を過飽和出発溶液の調製に使用することもできる。更に第三の方法も使用することができ、その方法に於いては、スルフアニル酸L―又はD―リシンが、スルフアニル酸ラセミリシンで飽和又は略々飽和した溶液に不溶性であることが判明したので、一方の対掌体の一定量を晶出した後その残留母液をスルフアニル酸ラセミリシンで飽和又は略々飽和させることによつて処理することができ、その結果一定量の他の対掌体が固体の状態で得られる。」(四頁一五行目から五頁一八行目まで)と記載されていることが認められる(以下これを「記載B」という)。ここにおいては、本願発明における光学分割に関する具体的手法のみならず、過飽和出発溶液の調製方法として、光学分割後の残留母液を利用しうることが開示されている。

三 そこでこれに続く記載Aをみると、ここにおいては、一面において、不所望旋光性スルフアニル酸リシンの水溶液(これが光学分割後の残留母液であることは明らかである)が、加熱するとラセミ化するという性質を有していることを示しているといえるが、記載Aが、このラセミ化したものは過飽和出発溶液として利用できることを前提としていることは、記載Bから明らかであるから、記載Aは、右の性質の開示にとどまらず、記載Bと同様に、光学分割後の残留母液を利用する工程として、不所望旋光性スルフアニル酸リシンの水溶液を加熱してラセミ化することによる過飽和出発溶液の調製方法を示唆したものと解するのが相当である。してみれば、記載Aは、本願発明における光学分割工程に次いで、不所望旋光性モノスルフアニル酸リシンの水溶液を加熱によつてラセミ化する工程の結合を旋光性リシン塩の製造の手法として開示している(その発明としての適否はともかく)ということができる。

被告は、一般に明細書において、「この発明によれば」以下で記載される文章は、その発明の作用効果を述べるものであることを根拠として、記載Aは単に旋光性塩の性質を示すものであると主張するが、本件においては、記載Aは、本願発明の目的物質製造の手法をも述べたものであることは前記のとおりであり、記載Aの冒頭の「またこの発明によれば」という文言もそのように解することができるものであるから、被告の右主張は採用し難い。

四 以上によれば、出願当初の明細書に前記の点が記載されていないと判断した本件補正却下決定は違法であり、取消を免れない。

五 よつて原告の請求を正当として認容する。

〔編註〕 本件における補正却下決定の理由は左のとおりである。

昭和四十六年二月六日(昭和四十六年二月五日付)に提出された手続補正書により補正された本願明細書の要旨は、「モノスルフアニル酸リシンの対掌体類の混合物を形成し、その混合物の過飽和溶液を選択晶出することによつて前記混合物を光学的に分解し、不所望旋光性モノスルフアニル酸リシンをその溶液の加熱によつてラセミ化し、ラセミ化したモノスルフアニル酸リシンを再循環させることより成る旋光性リシンの塩の製造法。」にあると認められ、また、昭和四十六年八月三十一日(昭和四十六年八月三十日付)に提出された手続補正書により補正された本願明細書の要旨は、「(a)モノスルフアニル酸リシンの対掌体類の混合物を調製し、(b)前記混合物の過飽和溶液を選択晶出処理することによつて前記混合物を光学的に分解し、(c)分解したモノスルフアニル酸D―リシンを、その水溶液を加熱することによつてラセミ化し、(d)分解したモノスルフアニル酸L―リシンからL―リシン又はその通常塩を単離させることより成る、L―リシン又はその通常塩の製造法。」にあるものと認められ、昭和五十年四月十九日(昭和五十年四月十八日付) に提出された手続補正書により補正された本願明細書の要旨は、「(a)モノスルフアニル酸リシンの対掌体の混合物を調製し、(b)前記混合物の過飽和溶液を選択晶出処理することによつて前記混合物を光学的に分割し、(c)かようにして光学分割したモノスルフアニル酸D―リシンの水溶液をそのまま加熱することによつてモノスルフアニル酸D―リシンをラセミ化し、(d)一方光学分割したモノスルフアニル酸L―リシンからL―リシンまたはその通常塩を単離させることよりなる、L―リシンまたはその通常塩の製造法。」にあるものと認められる。

したがつて、前記いずれの手続補正書により補正された本願明細書の要旨においても、モノスルフアニル酸リシンを光学的に分割し、不所望旋光性モノスルフアニル酸リシンの水溶液を加熱によつてラセミ化する工程の結合を必須の構成要件とする補正をしている。

一方、本願の出願当初の明細書の要旨はその特許請求の範囲に記載されたとおり、「リシンとスルフアニル酸との塩の対掌体の混合物を形成し、その混合物から旋光性塩を分離することより成る旋光性リシンの製造法。」と認められる。

そして、本願の出願当初の明細書には「モノスルフアニル酸リシンの対掌体の混合物を調製する工程と、このモノスルフアニル酸リシンを光学分割する工程と、次いで、不所望のモノスルフアニル酸リシンを加熱してラセミ化する工程」との工程の結合は何も記載されていない。なるほど、出願当初の明細書五頁十八行目から六頁三行目までには、「不所望旋光性スルフアニル酸リシンを、この塩の水溶液を一定時間、例えば一時間に亘つて約二〇〇℃に於いて加熱することによつてラセミ化させることができる。」との記載はあるが、これは旋光性スルフアニル酸リシンの性質を示すもので、特定の工程段階でラセミ化することを意味するものとは認められない。

したがつて、光学的な分割とラセミ化との工程の結合を構成要件とする、前記の昭和四十六年二月六日に提出された手続補正書の補正事項(1)、昭和四十六年八月三十一日に提出された手続補正書による補正、および、昭和五十年四月十九日に提出された手続補正書の補正事項(8)は、いずれも出願当初の明細書の要旨を変更するものであるから、特許法第五十三条第一項の規定により却下すべきものと認める。

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